喧嘩は健全説

兄弟喧嘩が発生するってものすごく健全なのでは、って最近考えている。

 

まあ、〇〇さんのところは喧嘩もなくて、穏やかでいいわねえ、うちなんて毎日喧嘩ばっかりで大変よ

 

みたいなやり取りが保護者間で行われるイメージをわたしは持ってるんですけど、個人的にはこれ逆だと思う。

 

喧嘩がない=不健全では。

 

 

わたしの場合、喧嘩するより自分を抑えてしまう方がスムーズにことが終わる(から自分のことは別にいいや)って自然に考えるようになった。だから、向こうの意見が通るようにそれとなく持っていく。

 

わたしは他人への期待値をゼロにできるからどこに行っても楽しくやっていけるんだと思っていたけど、そもそも小学生の時にはすでに、他人に自分の願いを叶えてもらうことを諦めていたんだな。

 

心が広くて仏のような人も本当にいるのかもしれないけど、わたしはそういうわけじゃない。優しいんじゃなくて、単に諦めてるだけやんん。

 

あーだからあれだ。小学生の時から誰かに優しくされると泣きそうになっていたのは、こういうことだったのか〜。

 

わたしが先生の顔を見て話を聞けるように、前の方においでおいでってしてくれるクラスメイトがいたりすると(泣)ってなってたんですよね。まあ泣かないんですけど、涙の出る手前までいってしまう。

 

わたしだって心の中では「〇〇したい」って思ってるわけじゃないですか。「あー、前に背の高い人が多くて、先生の顔が全然見えないよ…(もうちょっといいところに移動したいよ)」とか。でもそういう気持ちを見ないようにして生きてきた時間の方が圧倒的に長いから、たまに自分の願いを叶えてくれる人が現れるとびっくりするし、泣きたくなるんだな……

 

 

誰かの抑圧で生まれる平和に気をつけましょう。みたいなことって育児や教育の世界では常識なんですかね。喧嘩があるっていいことだと思うし、わたしはなんというか、人と真正面からぶつかれない人間になってしまったなあ。