心の闇を放出
誰かに話せば楽になるんだろうか?と思いながらも、今日まで誰にも話していないことがある。
でもやっぱり抱え込んだままだと、私は次に進めないと思う。
昨日も寝る前にいろいろと考え始めてしまい、泣くし、眠気も覚めるしで、疲れた。
いい加減向き合えってことだと思うから、ここに書きます。
前の仕事の話です。
結構長いし(3000字超える)、ネガティブだし、完全に自己満日記なので、今そういう気分じゃない人はスルーしてください😂
ある上司との関わりが深まるにつれて、心配になることが増えてきた。
どうやら周りのスタッフは、あの人にウンザリしているらしい。あの人がいない場で愚痴を聞く機会も増えた。
私は場の雰囲気を下げることを毛嫌いするタイプなので、それならば私が前向きになろうと、勝手に頑張り始めた。
今思うとそれが大失敗だけど、過ぎたことは仕方ない…
あの人は、いつも活発だけれど、どこか落ち着きのない人だった。
特定の人にはキツく当たったり、発言をきっぱり否定することもあった。
予定のダブルブッキング・トリプルブッキングと、文章の誤字脱字は日常茶飯事だった。
クライアントの締切日に提出せず、クライアント側から催促の電話が掛かることも、しょっちゅう。
あの人の「できる」「それで大丈夫だよ」は、日に日に信用できなくなってしまった。
そんなある日、あの人のいない場でこんな話題が出た。
「典型的な発達障害かもしれないね」
発言したのはスクールソーシャルワーカーの仕事もしているスタッフ。
社会福祉士の勉強もしていて、日ごろから発達障害の疑いがある子どもたちとも関わっている人だった。(Sさんと呼ぶ)
Sさんに「ケース会議をする方がいいかもしれない」と教わった。学校現場では、何かに困っている子どもの対応策を「ケース会議」というもので決めていくらしい。
私は初めて「発達障害」という言葉を身近に意識するようになった。
それからあらゆることに合点が行くようになった。
会議が始まろうとしているのに、別の作業に没頭していて中々来ないことも。
いつも移動がギリギリで、クライアントの打ち合わせに遅刻することも。
正直、いろんなことが腑に落ちた。
でも、私はどうしたらいいのか分からなかった。
あの人とペアのような形で働いている私が、何かを補わなければいけないのかと思った。でも、あの人をサポートするどころか、その頃は自分のことすら上手く管理できてなかった。
だって仕事が全然進まない。やる気を出したいのにやる気が出ない。
学生時代は夜通し資料作成に勤しむような日も多かった。だから、あの頃の熱量を取り戻したいと毎日思っていた。でもできない。
それからは自己否定のループに自分で入っていった。
ずっと資料作成をお願いされていたのに、ずっと完成させられなかった。
あの人に「どうしてできないの?」と聞かれたが、自分でも分からなかった。むしろ「どうして?」と聞き返したかった。
それから、私が発達障害なのかもしれないと思うようになった。
私が発達障害だからできないんじゃないか。私の能力が足りないから、こういうことになるんじゃないか?いろんなことが上手くできない原因を特定したかった。
私とあの人の考え方に違いがあり過ぎることも苦手だった。私は深く考えるタイプだけれど、あの人は正反対な気がした。
あの人の意見やアイデアに明確な目的や意図が見出せなかった。私からすると、もっと細かいところまで詰めるべきなんじゃないかといつも不安だった。
自分の仕事の目的も分からなかった。この会社にはいない方がいいんじゃないかと思った。人件費を出してもらってまで、自分がいるべきだとは思えなかった。
しばらくして、Sさんが会社を辞めることを知った。
言われてみれば、この頃は元気が無さそうだった。後から聞いたが、かなり前からこの会社の現状に嫌気が指していて、ずっと辞めたいと思っていたらしい。
率直に言うと、あの人が原因だった。
Sさん自身もスクールソーシャルワーカーとして働いている中で、そのように思ってしまうこと・こういう結末を選ぶことは複雑な気持ちだと話していた。
Sさんはスッと退職していった。
ある日、あの人と一対一で話した。その時の私なりに気になっていたこと、不安だったことを伝えた。泣いてしまった。
それからも一対一での話し合いや全体会議の場で、何回か泣いてしまった。
後からあの人に「抱え込む性格は変えれるといいかもね。あなた自身がしんどいでしょう?」と言われた。それはその通りだと思った。
でも今までは、困りごとが原因で泣くことなんて年に数回で、ここまで泣くことは珍しいかもしれない。と心の中で思った。
しばらくして、既に退職したSさんから「家に遊びに来ない?」とメッセージが届いた。週末に私一人で訪問させてもらうことにした。
土曜日になり、Sさんの家に遊びに行った。手作りのご飯が用意してあった。てっきり飲みに行くものだと思っていたが、家の方がゆっくり話せるでしょう?ということらしい。
「最近仕事はどう?」と聞かれた。それだけで涙が止まらなかった。そして初めて「辞めたい」という言葉を口にした。
本当は前々から思っていたけれど、抑えていた気持ちだった。もう自分の本音は「辞めたい」一択になっていることに気付いてしまった。
その日はSさんの家に泊めてもらった。今の会社を辞めても大丈夫。世の中、会社はいくらでもあるし、人生まだまだ何でもできるよ。と諭してもらった。
でも私の心配ごとは別にあった。どうやって「辞めたい」と伝えるか。それから、私が辞めた後、あのポジションに一体誰が入るのか。アットホームで小さい会社だからこそ、気になってしまった。
正直「辞めたい」なんて言えそうもなかった。でもそのことはSさんに相談できなかった。
また月曜日が始まった。やっぱり仕事の熱意は出せなかった。
今週は体調も悪かった。隙を見て一人で休んでいた。
そんなとき、またSさんからメッセージが届いた。「今週末も遊びにおいで」「誰かに何か相談できた?」私の現状を確認するメッセージだった。
今振り返ると、Sさんにはかなり心配されていたんだと思う。Sさん流の気づかいと優しさで救おうとしてくれていたことが、今は分かる。
「Aさんと話せたので大丈夫です」と返信した。話したことは事実だけれど、そのときも泣いてしまって、大丈夫と言えるような何かが進展したわけでは無かった。でもSさんには元気なふりをしてしまった。
とりあえず「また土曜日遊びに行かせてください」と返しておいた。
その週は、Aさんに加えて、Cさんにも初めて相談した。一緒にいるときに泣き出してしまい、ここで話さないと限界を超えてしまいそうな危機感があって相談することにした。あの人との関わり方が分かりません。関わりたくありません。と言ってしまった。
土曜日が来た。Sさんの家に遊びに行く予定だったけれど、体調が悪くてドタキャンさせてもらった。
それから先のことは、あんまり細かく覚えていない。あの人も、私も、いろんなことがあったと思う。
ある日曜日、あの人から些細なメッセージを受け取って以来、私は会社に行かなかった。きっかけは本当に些細なことだった。でも私のダムはすでにギリギリで、簡単に決壊してしまった。
過去の話を書くのはここまでにします。
あの人と出会ったことも、この出来事も全部、きれいに忘れ去りたかった。蓋を覆い被せたまんま、放置しておきたかった。
でもどうしてもできなかった。
あの人も辛いんだと思う。
朗らかで、すぐに誰とでも打ち解けられて、アイデアはたくさん持っている。人前で話すことも得意な人だった。
でも苦手な部分も目立ってしまうために、一緒に働く人とは上手くいかないことが多いと小耳に挟んだ。
以前の部下も、ある日から音信不通になったり、ある日を境に避けられたり、いろんなことがあったそうだ。
私もいろいろと良くしてもらったのに、結果的には酷い形で辞めてしまって、どうやって顔を合わせればいいのか分からない。自分の行動の酷さに自分自身が嫌になる。
でも一体どうすればよかったのか、私は今でも分からない。あの頃の社会人スキルのない私なら余計に。一体何をどうしたらよかったんだろう。
それから「発達障害」についても、未だによく分からない。この一件があってから本を数冊読んだり、ネットも検索しまくった。でも何かが腑に落ちない。自分が発達障害なのかも未だに分からない。
例えばフィリピンの友人なんて、遅刻が当たり前だし、ドタキャンも普通にされる。日本社会の雰囲気が「発達障害」と呼ばれる人を増やしているんじゃないかと思ってしまうことがある。
それに、あの人だってうつ病などの気分障害があったのかもしれない。何が原因であのとき、あんな風になっていたのか、私には分からない。
まとまりのない文章をここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
人によっては不快になったり、敏感になるテーマだったかもしれません。気分を害していたらごめんなさい。
振り返ると、あんまり大した出来事ではない気もするけれど、私にとってはしこりのようなもので、今もちゃんと消化できていません。
本当は全部消し去りたいけど、上手く向き合って、自分の納得できるところに持っていきたいです。
でもどうしたらいいんだろうね。この話も、結論をどこに持っていけばいいのか、どうやってまとめればいいのか分からない。
中途半端だけど、このまま終えることにします。
読んでくださってありがとうございました。