工場の思い出

大学卒業間近の三月、工場の日雇いバイトに行ったことがある。すぐにお給料を貰えて短期でできる仕事を探していた。

 

駅から大型バスに乗って工場に向かうんだけど、車内の雰囲気はどこか異様で。自分の世界に引きこもっているようなお兄さんもいるし、逆にすぐ声を掛けてくるおじさんもいた。

 

一体わたしはどこに輸送されるのか… 場違いなところに足を踏み入れてしまったのかも。と不安になる。

 

 

工場では化粧品の容器にクリームを入れるところから、ダンボールに梱包するところまでのライン作業を行った。

 

まるで機械になることを求められているようだった。

 

工場では機械が人間よりも優位。

 

決められたスピードに遅れないように。機械のように全ての作業を完璧に。

 

わたしたち人間のやることは機械にできない部分を補うこと。感情は必要ない。

 

鈍臭いわたしを見たおばさまに怒られるし、心は無になるし、正直、社会の底に来てしまったのではないか。と思った。もう二度とこんなところには来ないと、作業をしながら自分で決めた。

 

 

工場でわたしを助けてくれたのは、外国人労働者の人たちだった。

 

どういう理由で日本に来たのか、どういう暮らしをしているのか、全く知らない。

 

でも工場にいた女性作業員の4割ほどは外国人の方だったと思う。

 

彼女たちの笑顔はライン作業の中でも消えない。一生懸命な日本語でアドバイスをしてもらい、フォローもたくさんしてもらった。

 

お昼休み。日本人の女性たちは一人でごはんを食べる中、彼女たちはグループで、どこかの外国語で話をしているのが印象的だった。

 

 

わたしが日頃から使っている製品は、こんな環境で働く人たちによって支えられていたんだと痛感させられた。

 

でも、蔑むことはしないけれど、わたしはここでは働きたくないと思った。というのが正直な感想である。

 

わたしの家はよくある一般的な家庭で、父がサラリーマン。母はパート。

 

大学で出会ったエリート家庭に比べると自分が凡人であることを嫌でも理解する。

 

だけど見方によっては、わたしももの凄く恵まれている。大学に行くことが当たり前の高校に行き、私立に通わせてもらって、数々の仕事の中から職業選択をする。これがどれほど恵まれていることか…

 

資本主義の中で優位に立つとはどういうことであるのか、いろいろと考えさせられた経験だった。

 

 

わたしの豊かさは、両親がお金をかけて作ってきた土台によって支えられている。もちろんそれが豊かさの全てではないけれど、これが事実の一つだよ。ってわたしは思う。

 

資本主義ってそういうもの…

 

まずは自分を幸せにするために、どこかに自分のポジションを作らなければわたしだって生きていけない。

 

だけどね……

 

なんかもやもやするよね。

 

っていうのが最近のもやもや…

 

あああ。

 

 

競争社会、資本主義、自分の幸せ、格差、社会の豊かさ、発展、平等とは? etc......